2015年 10月 26日
未遂。そして後遺症。 |
未遂・・・いわゆる失敗です。
それには少なからず後遺症が、ついてくる。
普通に考えれば当たり前・・・ですよね。
それだけの事をしたのですから。
でも、私は失敗なんてものがある事を考えても、思ってもいなかったんです。
ただの無知だったのかもしれませんが・・・
【実行=旅立てる】
そんな考えだったんです
だから最初に失敗した時、本当に呆然としたんです
「えっ?」「あれ?」「ちょっと待って!なに?!」
そんな風に。
今考えれば呆れちゃいます。
後遺症
私の場合は、そんなに酷いモノではなかった
それでも、脳に暫く酸素や血液がいかなかったせいだろう、ガンガンする酷い頭痛
左目の霞み、ぼやけ
左足指の痺れ
両手の震え
全身を強打した痛み
そして首の赤紫の跡
常に喉の奥が締め付けられるような痛みや熱さ
これが1ヶ月ちょっと続いた(左足親指だけは今だに麻痺してます)
首の赤紫の跡は遠くからでもわかる程くっきり鮮やかだった
そして誰が見ても、そうゆう傷である事がわかる
10月中旬、まだ少し早かったが
その日から私はタートルネックを口元まで伸ばし着ていた
部屋の中でもそうしていた
またその傷跡を見て両親が何を言うかわからなかったから
常に見えないようにしていた
それでも私は、その傷跡が嬉しかった
彼と全く同じようについた跡
同じように、同じ方向、同じ体重のかかり方じゃなければ、そんな風に同じには付かないはずなのに・・・
忘れもしない
あの時、警察で対面した彼の首の赤紫の跡
それと全く同じ跡が私にある
それが嬉しかった。彼と同じだ!一緒だね。と。
だからずっとこのまま消えなければいいのに
そんな風に思っていた
そして私は、そうなったからと言って
そうする事をもう諦めたわけではなかった
せめてブルブル震える両手、思うように動かせないその手さえ落ち着いたら。
そう思っていた。
私は何度も書いているが失敗があるなんて思ってもいなかった
だから、こんなバカは私だけなんじゃないか
そんな風に思った
そしてネットで調べた・・・
ビックリした
失敗してる人が他にも沢山いたのだ
色々な方法で色々な失敗をしていた
本当に私は何も知らなかった
そして後遺症の恐ろしさを知った
死ぬ事が怖いわけじゃない
失敗する事が怖いんだ。と言う事を。
思い知らされたのだ
私は、それから…自殺サイト…そう呼ばれる所、殆ど全てにいった。
沢山の事を勉強した。
そして「消えたい」そう思っている、実行しようとしてる人が、こんなにも沢山いるのだ・・・と知った。
みんな苦しみを抱え闘っていた。
旗から見れば「そんな事」に思えても本人にとっては大変な苦しみで・・・本人にしか本当の苦しみは、わからない。・・・そう学んだ。
私は色んな意味で勉強不足だったと知った
今度こそ失敗しないように
私は必死でネットを調べ続けた
自殺サイトとゆう名の助け合いの場もあった
同じ目的を持ち抱えきれない苦しみを抱えた人が沢山沢山いた、どこにも言えない事を吐き出し、みんなで話し合ったり励まし合う場、傷の舐め合いかもしれないが、それで救われたと更正(生きる事に)した人も沢山いた。酷い苦しみの人の話をきき、自分はまだそれほどじゃない、まだ頑張れるんだと思い直す人、勿論旅立ってしまう人もいた。そんな不思議な助け合いの場所との出会いもあった。
本当にそんなサイトばかりを見ていた
そして、そんな時期に私はこの世界も知った
死別、そして自死遺族のブログの存在を
その前に自殺を自死と呼ぶ事さえ知らなかった
本当に私は何も知らなかったのだ・・・
大切な人を失い
同じように悲しみ苦しんでいる
そんな人がこんなにもいるんだ
私だけじゃないんだ
そう思った
でも、だから私も負けない!頑張る!
そんな風には思えなかった
早くこの両手だけでも何とかしないと
こんなんじゃ何も出来ない!と。
気ばかり焦っていた
後遺症・・・
私は彼に生きていて欲しかった
失敗してほしかった
どんな後遺症が残ったとしても
例え寝たきりになったとしても
私の事をわからなくなったとしても
それでもいいから生きていて欲しかった
ただ彼に生きていて欲しかった
by yoshi721chii
| 2015-10-26 01:38
| 後悔の日を過ぎて