2015年 09月 07日
後悔の日 |
1年前の今日
2014月9月7日日曜日
この日がなければ今も彼は隣にいたんじゃないか
そう思わずにいられない日
……
あの日は、彼のお父さんが同窓会で地元の長野に行き1泊する事になっていた。
お母さんの面倒は全てお父さんがしていた
お母さんは日中は大丈夫だけど夜は筋肉が固まり動けなくなる
薬が効いている間は普通に過ごせる。
でも、その薬も1日何回、何個までと決められている。
強い薬の為、それ以上は無理なのだ。
その薬は夜に切れてしまい朝まで飲めない。
薬の影響でトイレも近い。
近くにいて体を起こし抱き抱えトイレに連れて行かなければならない。
なのでお父さんは必ずいた。私が知る限りいない夜は初めてだったかもしれない・・・出会って間もなくお父さんは持病の心臓病が悪化して手術入院をしたが、その頃は、まだそこまでお母さんの症状は悪くなく薬の効きも長く1人で大丈夫だった。
なので、そんなお母さんを目の当たりにしたのは彼にとって初めてだったのかもしれない・・・。
……
あの日
夕方迄は、いつも通りだった
ただいつも以上に疲れてたのか「疲れた」「帰りたい」を連発していた。
無理もないだろう、あの頃彼は殆ど眠れていなかった。
朝まで眠れず、仕事に行く頃になると眠くなる・・・1時間とかぐらいしか眠れず仕事に行く、なので仕事中は常に眠い、帰宅してすぐうとうとするがやはり1時間ぐらいしか眠れず、もうそれからは朝まで眠れない。
睡眠薬さえ効かない状態だった。
あの日のLINE
この後、いつものように電話がきた
まだこの時は、お母さんも大丈夫そうだったけど、普段は親と余り接しない彼、ひとりでいたい彼にとってずっと一緒にいる事にちょっと疲れていた。
普段は早く寝るお母さんも、大好きな息子とずっと一緒にいるのが嬉しいのだろう、なかなか寝ようとしなかった
それがまた、彼の精神的な負担になっていた
この後、彼から電話が来た
相当参っていたんだろう
「もうイヤだ。本当にイヤだ。あの人といたくない。疲れた」
怒ってるような泣いてるような声で彼は呟いた
ひとりでいたいのに、ずっと一緒にいなきゃいけない
何から何までしてあげなきゃいけない
そんな煩わしさもあっただろう
そして初めてそんなに弱ってしまっている親を目の当たりにして戸惑いや不安もあっただろう
そんな色々な事が彼を追い込んでいた
我が子を育てられなかった悲しみや罪悪感で、こんな俺は人として最低だ、生きてる資格なんかないと自分を責め追い込み
仕事や仲間との人間関係でも悩み苦しみ
ギリギリの所で踏ん張っていた所に、そんなお母さんを目の当たりにして彼は打ちのめされたのかもしれない
【もう無理だ】そう思ってしまったのかもしれない
そして私に助けを求めた
なのに私は優しい言葉をかけてあげられなかった
「もうイヤだ、無理だ」そう呟く彼に
「仕方ないでしょ?よししかいないんだし。いつもじゃないんだからさ!今日だけは大変だけど、ちゃんとついててあげな」そう、まるで突き放すような言い方をした。
彼は暫く何も言わなかった。
そしてため息ともつかない声を漏らし
小さな声で「そうだね」そう呟いた。
まるで初めて聞くような声だった
優しいトーンだけど悲しいようなとても小さな声だった
……
恐らくあの時
彼の心の中で何かが変わったんだ
今まで頑張って耐えてきた糸がプツリと音を立てて切れるように
彼は崩れてしまったのかもしれない
……
あの時の私は「あれ?なんだかおかしいな?」とは思ったものの、たいして気にせず、そのままいつものように「おやすみ」を言い合った。
その時、やっぱりちょっと気になった私は「眠れなかったり辛かったらLINEでも電話でもちょうだいね」そう言って電話を切った。
でも、その日それきり彼からは連絡がなかった。
恐らくあの後も、お母さんのトイレに数時間おきに付き合い、彼はキツかっただろう・・・どんな想いでいただろう。
彼は、この日を境に変わってしまった
この日がなければ・・・
そして、私がもっと優しい言葉をかけてあげられてたなら・・・
そう思わずにいられない
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by yoshi721chii
| 2015-09-07 19:44
| 後悔の日