2015年 10月 01日
彼を見送った夜 |
私は家に戻り
部屋に入ると、とてつもない孤独に襲われた
【ひとりぼっち】を改めて実感した
ちいと一緒なら、何とかやれる気がする
大丈夫な気がする
だから、ずっと一緒にいよう
一緒に頑張ろう
そう言っていた彼は消えてしまった
私を残し、私を置いていってしまった
なんでよ!どうしてよ!
何で置いていくのよ!
何で一緒に連れていってくれなかったのよ!
よしだけじゃない
私だって同じだったのに
一緒だったから何とかやってこれてたのに
俺も何とか頑張るから
ちいも頑張れ!そう言ってたのに
何で自分だけ?
こんなの酷いよ!ズルいよ!
何で置いてくのよ!!
そう大きな声で叫び泣いた
どうしたらいいの?
もう、イヤだよ。こんなのイヤだよ。
そんな想いでいっぱいだった
そして、暫くして父が部屋に来た
「母さん、具合が悪いみたいなんだ」
来てくれと。
彼を想い、ひとり悲しむ事も私には許されないのか?そう思い虚しく哀しかった
でも、仕方ない
私しかいない
これが私の現実なんだ
堪らない気持ちのまま、両親の部屋、母の元へ行った
母は苦しそうにしていた
明らかに体調が悪そうだった
母は1年前に、かなり進んだ状態で癌が見つかり
かなり大きな手術、そして長期間の入院をした
幸い無事に成功したが、身体にはかなりリスクをおった
肺の機能も著しく低下した
そのせいか疲れやすくもなっていた
そんな状態のところに、彼の事も精神的にきたのだろう
母も彼と仲が良かった
ショックだったのだろう
そして、お通夜に告別式と参列してくれた
疲れも一気にきたのだろう
体調を崩したのだ
急いでタクシーを捕まえ病院へ向かった
母は大きな都立病院にかかっていた
そこは救急もある
病院につくと、深夜だとゆうのに
小さな子からお年寄りまで、かなりの人が診察を待っていた
母は座るのもしんどいのか長椅子に横になって待った
かなり時間がかかると受付で言われ
本当に長い時間待った
カップルや夫婦の姿もあり、寄り添い小さな声で囁きあいながら待ってる姿を目の前にして堪らなくなった
みんないいね、寄り添える人がいて
私の彼は・・・
下を向きそっと涙を拭った
彼を助けてくれないだろうか
もう、彼のカラダさえないのに
そんなバカな事を考えていた
なんでこんなとこにいるのだろう
もうイヤだ。ひとりになりたい。帰りたい
泣き叫ぶ子供や、うんうん唸っている人達の声を聞きながら
もう勘弁してほしいと思った
そんな時
彼の声が聞こえた気がした
「仕方ないじゃん。ちいしかいないんだからさ。しっかりお母さんに付いててあげな」と。
彼は、いつもそうだった。
私の母を心配し、私にいつもエールを送ってくれていた
そして思った
きっと今、彼がここにいたらそう言うだろうと
しっかり付いててあげな。と。
そう思ったら、ほんの少し頑張る力が沸いてきた
2時間近くかかりやっと診察、そしてすぐに検査、その後は検査結果が出るまで、また1時間ぐらい待たされた
入院までは、いかないがギリギリの所で、絶対安静の状態だった。薬を出され、息が荒くなったり呼吸が更に苦しくなるようなら救急車で来るようにとの事だった。
やっと家に帰れたのは朝方だった。
母を寝かせた。もう外は明るかった。
母は安静で動けない。
父は、歩く事もままならない、まして食事の準備なんて出来ない。何も出来ない。
家の事、母の世話、父の世話、全て私がするしかなかった
色々な意味で絶望を感じた
2014年9月14日の朝だった。
次の日、15日は私の誕生日だった
そして仕事に復帰する日だった
正直、彼の事で仕事なんか出来る状態じゃなかった
もう暫く休みたかった
でも、どうしても人がいなかった
そこまでも、無理を聞いてもらい休ませてもらっていた
迷惑も心配も沢山沢山かけていた
これ以上迷惑は、かけられなかった
仕事と家の事、親の事、全てするしかなかった
でも、母の様子を見ていないといけなかった
とりあえず2日仕事すれば、1日休みがあったので2日間だけ妹に無理をいい私の仕事の合間母の様子を見てもらうように頼んだ
彼が旅立ってから5日間、食べたのはおにぎりを、ほんの一口だけだった、
水分さえ、ほとんどとっていなかった。
睡眠もお通夜の夜・・・彼のお父さんさんのイビキが彼のイビキと同じで安心して1時間近くうとうとしただけだった。
身体中全てが、とても重く感じた
足を動かすのは勿論、腕も指も瞬きをするのさえ重く感じた
突然足元から地面に吸い込まれるような感覚になる
でも、それでいい。そう思っていた。
もっともっと身体中がおかしくなれば、いいのにと。
それで死ねたらラッキーだ!と。
でも私は、もう少しだけ頑張らないといけなかった
数日後の23日に、彼の最後の仕事
イベントが控えていたのだ。
彼が最後まで一生懸命頑張っていた仕事
その頑張りを私に見て欲しい・・・そう彼の仲間達に言われていた、イベントに招待されていたんです。
だから私は、その日までは、何とかして頑張ろう。
生きていよう。
そう決めていたのです。
by yoshi721chii
| 2015-10-01 00:52
| 後悔の日